ペルソナイズ戦略コラム

PERSONAIZE STRATEGY COLUMN

ぴよぴよドラッカー教室 01

ドラッカーは、3つの卓越した肩書をもつ人でした。

◆ドラッカーの職業◆

オーストリア出身で、高校卒業後、ドイツで夜間大学に通いながら商社に勤務しました。
その後、ナチスのヒトラーを非難する論文を執筆したため、イギリスに渡り金融機関・記者などを経験し、さらにアメリカに渡って、大学でマネジメントを教える経営学者でした。
自分自身のことを「望楼守」(城郭の見張り役」と呼び、社会の変化を観察する社会生態学者でもありました。
また、彼の著書を読んだGE(ゼネラルエレクトリック社)の役員からの依頼でGEの調査をし、その調査結果を「会社という概念」にまとめたことから、経営コンサルタントとしての仕事も増えていきました。
彼は、社会を観察し、それを経営の視点で体系化して教え、その知識を使ってコンサルティングをするという

  • 社会生態学者
  • 経営学者
  • 経営コンサルタント

三つの職業の達人でした。
しかし、自分では、「ライター」(物書き)とも言っていました。

◆彼が与えた影響◆

社会生態学者として、ソ連の崩壊、民営化の提案、少子・高齢化社会の問題、年金問題、知識社会の到来など、今日問題になっている社会現象をいち早く見抜き、警鐘を鳴らしてきました。
たとえば、「イギリス病」と言われるほど、経済大国から凋落していくイギリスを救ったマーガレット・サッチャー首相は、ドラッカーの説いた民営化を実践した人でした。

「マネジメントの父」と呼ばれていることに集約されますが、経営の近代化に最大の影響を与えたのが経営学者としてのドラッカーです。

彼の著書は、全世界で読まれ、影響を受けていない企業家・経営学者はいないほどです。
日本だけでも、そうしたマネジメントに対する造詣の深さから、GEをはじめ、世界的に有名な大企業のコンサルティングを行ってきました。
また、企業のみならず、美術館や病院、教会など、NPOの経営にも数多くたずさわっていました。

1950年代後半から、定期的に来日し、当時の経営者に計り知れない影響を与えました。
そのため、日本から勲章も授与されています。
さらに、ドラッカーが活動拠点にしていたアメリカで忘れられるようになっても、日本ではず~っと静かなドラッカーブームが続いていました。
ちなみに、日本の古美術の造詣が深く、アメリカの大学でも教えられるレベルだったそうです。

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